紙に書くもの(PTA広報誌の原稿)は、気にしなければそれまで、なんですが、「より多くの方の声を誌面に取り込もう」と思うと、草稿を受け取ってから寄稿してくださった方にワードでの下打ち原稿をお見せするまでの納期は、私の中ではいつだってASAPです。
最速は広報部会合の席上。
翌日当人に会う機会がある場合は、翌日に下打ち原稿をお渡しします。
・・・とこんな感じなので、原稿が次々上がってくる時期は、PC操作でも圧倒的にワード優先。英語よりも中国語よりも、広報誌原稿を先に片付けたい気持ちになります。
---なんてここまで打ち込んで、改めて昨年暮れに新TOEICの記事を書いた地元紙の某記者に想いを馳せました。
PTA広報部に身をおいてから、ずっと思ってきたけれど、ほんとに、ほんとに改めて、新聞紙面作成と英語学習との両立の難しさを身を持って思い知らされました。
新聞を作るって、全身全霊を傾けないと、できない。
日本語の新聞を作るのには、外国語の思考回路は時に雑念にさえなる。
・・・これが私がPTA広報誌作成に携わってみて、一番強く感じたことです。
私に英語学習再開を提案した旧友(新聞社勤務です)が、「何のために英語学習をするのかわからなくなった。TOEIC受験をやめる・・・」とメールしてきた時、すごく悲しく寂しい気持ちになったのだけど、今同じ文面を読んだとしても、悲しくなったり寂しくなることはない・・・むしろ共感します。
それは、PTA広報誌という紙媒体に書き始めたからため以上に、私自身も、今年3月半ばの時点で、各種テストスコアを上げるための英語学習に、一旦けりをつけたからです。
英語学習スタイルも、「一人黙々型英語学習」から、「子育てに活かせる英語学習」へガラッと転換です。
自分一人用の英語学習から、子どもたちと共に歩む英語学習。
それは、子どもたちの学年を基準にした教材選び。仮に私のTOEICがいくつあろうと、英検の級がどうであろうと、ひとつのラジオ講座を、一番上の子の履修開始に合わせて聞き始め、一番下の子が履修し終えるまで繰り返し聞き続けるスタイルです。
基礎1は6年、基礎2は5年、その次の講座は・・・で、上の子が中2になる再来年には、基礎1と基礎2の両方を並行学習する計算になります。
・・・が、今はほんとに基礎1「しか」やっていません。
CNN EEは、一人で車を運転する時にかけるのが精一杯。
5月の連休明けに引継ぎを終えて、PTA活動の日程を見ました。
年間計画書を見て、「英検対策学習をするスタミナも、TOEICを組める余暇もない」ことに気づいたら、人が変わったように、あるいは手のひらを返すように、昨年までのTOEICスコアUPや英検1級取得への熱い思いが、消えていってしまいました。
これは英語学習者としては、完全に堕落です。
いつまでも「心地よく感じるものを、その時やれる範囲と程度に学習」でいいわけありません。
「英語学習をしています」の事実だけじゃ、どんなに自分の中で確固たる信念があったとしても、説得力は薄いです。
「どの程度できるか証明して」と言われれば、やはりテストスコアが一番説得力のあるデータになります。
日本語を駆使しなければいけない状況にあろうが、子どもたちとの和を保つために英語の話題を控えめにしようが、「英語力UPは結果(=テストスコア上昇)が伴ってこそ」ということを、忘れてはいけないんです。
今、私は、ただ忙しかったり体力的にきつくて、あるいは試験勉強がつらいから試験を組まないのでなく、子どもたちが内申対策などで各種試験に向かう年頃になるその時期を、静かに待っています。
言い換えれば、「私だけが受ける英語試験」から、「親子共通の話題としての各種試験(の中の英語試験)」に、受験目的を変えました。
その時にまた、今まで以上にアグレッシヴに、英語試験に向かうことにします。
だけど、それにしても、言うは易く、行うは難し。
どうか「その時期」に、子どもたちの向学心よ、十分上がっていておくれ・・・
ちなみにTOEICの話を一応すると、とある児童英語教師の方のブログを読んだら、子供向けの教材をずっとやっていて(英語は授業の準備でしか勉強していないとのことでした)、久しぶりにTOEICを受けたらリスニングの点数が劇的に上がっていた、とのことでした。基本を繰り返したからよかったのかな〜とおっしゃっていましたよ。しばさんも今、お子さんの教材を一緒にやっているけれど、それってすごくいいことなんだと思います(しばさんのためにも、お子さんのためにも)
>「英語学習をしています」の事実だけじゃ、どんなに自分の中で確固たる信念があったとしても、説得力は薄いです。
「どの程度できるか証明して」と言われれば、やはりテストスコアが一番説得力のあるデータになります。
確かに、そういう面はありますけれどね・・・
でも、点数だけに一喜一憂している人を見るとなにかむなしい気もしますし。
点数って良かったら思いっきり喜んでもいいけれど、悪かったらさくっと忘れてもいい気が私はしているのですけど・・・
一番悲しいのは「点数だけよくても英語が使えない人」これです。
しばさんが、TOEICや英検から心が離れたこと、別に良いと思います。逆にもししばさんが資格のための勉強をしていないことをあれこれ言う人がもし万が一いたとしたら・・その人たちって悲しいな〜と私は思います。
朝から長々すみません。なぼむしさんのところのコメントも拝見したのでついつい熱くなってしまいました(汗)
お子さんと楽しむ英語が一番でしょうねぇ〜♪
カレンダー上の、うたが面白いです。
それにしてもしばが先っぽい思考したかったみたい。
だってしばと講座っぽい学習したかった。
それにしてもしばはここまで経験しなかった?
なぼ邸も見てくれてありがとう。
昨年末から今年にかけて、ネットの英語仲間たちが次々と「結果」を出しているから、プレッシャーを感じてこのエントリー書いたんだろうなぁ、て今は思うよ。
「子供向け教材の繰り返しでリスニングUP」の事例、すごくうれしかった。勇気わいたよo(^-^)o
明日からより一層自信持って基礎1聞くよ。
どうか恐縮なさらないで。
sayshoeさんのほうが私の何千、何万倍も忙しくて、かつ無理利かないはず。
忙殺されっぷりが態度や文体に出るのは、私が人間としとまだまだちっちゃい。…それだけのことです。
PTA広報の原稿は、昨日午後に印刷屋さんに納品したよ(祝)
だけどもうすでに次の企画と、プライバシーポリシー起案書が待ち構えてるよ。
「英語に使われる」か・・・端的で、すぐイメージを描けるよ。すごく斬れてるよ。。。しば、斬られた。
それと、「もう少し気楽に構えろよ」は、別の人(注:rozzoさんも名前知ってるよ)にも言われてるよ。
だけど、だけど・・・その彼が、一緒にTOEICテストを受けてた3年前、今の私以上に取材活動や記事の納期に追われながら仕事と英語とを両立して、彼のほうが絶対に身も心も疲れてるはずなのに「私の」体調ばっかり気遣って・・・なんて考えたら、心身の疲れがすぐに表に出してしまう自分は、「まだまだだな。話になんないくらいちっちゃいな」って思うんだ。sayshoeさんへのレスにも書いたけど。
rozzoさんだって、仕事と、家庭と、ロッソ応援と(福井行ってきたよね)、ブログは毎日更新。1日複数回のこともあり。絶対、前述の彼に負けないくらい、心身ともにえらいはず
・・・って想いをめぐらすしばでありました。
私、英語の勉強をしている時と、広報誌作りで日本語を使い込んでいる時とでは、人格がまるっきり変わっちゃうのを感じるんだ。読み聞かせで絵本を開いても、また別な風に変わる・・・
そして、「指定型バトン」をUPした今月始めまでは英語に浸ってる自分が大好きだったのに、わずか半月あまりの間に急に「英語のない生活も、それはそれとして楽しい」と思うようになった自分に、狼狽したりなんかしてるよ(´・ω・`)