…なんて考えています。
PTAデイ3連チャンがやっと終わりました。
「自称」みんながハッピーになる三無主義、声に出してリズムが耳に心地よいように、ちょこっと変えました!(b^ー°)
個々の提唱理由をば:
まずは
★無利★
…報酬目当てにならない。
私、子どもにお手伝いをお願いした時に、「こづかいくれるならするよ」て言われて、「こづかいがないと手伝わない奴はこっちから願い下げだ(;`皿´)」と激情したことがあるんです。
また、その後の気まずい光景だけを見た母が、「何で子どもに手伝いするようにしつけなきの?」と「私に」大カミナリ(`ヘ´)
「手伝ってほしけりゃ金をくれ……て言われてもなお、“手伝って”て笑顔で言えっていうの?私は“金目当てのお手伝い”の習慣付けは絶対嫌だよ」
…て、努めてクールに母に言いました。
お手伝いは、報酬目当てでなく、内から沸き起こる「気持ち」でするものだと思うからです。
話は変わりますが、今日、学校の図書室の蔵書整理に参加して来ました。
図書ボランティアもしている読みきかせ仲間が、心身ボロボロになりながら図書室整備と本読みの両方を、必死に笑顔作ってこなしてるのを見て、「黙って見ていることは読みきかせメンバーとして罪だ」て思い、参加を決めました。
前の日記の「君の取り組みは、純粋に子どもたちのためを思ってしてるかい?」て、とあるおとーさんの問いを思って、「今までの自分のフィールドと違うことにも打ち込んでみようかな」て気持ちになっていたし、単発お手伝い員に終わらず、(図書ボランティアへの)正規参加も念頭に置きながら各種作業をしました(あ〜、苦労性( ̄ ̄ ̄ ̄ ̄(ェ) ̄ ̄ ̄ ̄ ̄;;) )。
淡々黙々とラベル貼りや除籍本の仕分けをしながら、街の図書館の職員の方々に、ふと思いを馳せました。
「街の図書館の人たちは、この気の遠くなる作業を、毎週毎週して、“読みたいな”“借りたいな”て思う本で館内を埋めているんだなあ…と。
私自身、進んで人の手伝いをするタイプじゃありません。誰かに自分を手伝わせることは、自分が誰かの手伝いをする以上にに下手です。
だからこそ、より多く「手伝わなきゃ」という気持ちになっていくために、「対岸の火事」的態度を取らないようにしたいし、特に家庭では、「子どもが手伝ってくれない」と嘆くよりも、ヘロヘロのボロボロになっても笑顔をたたえ続けて、「手伝わなきゃ」オーラをビンビン発しようと決意しました。
長くなりました。
「無私」と「無欲」は、また今度にf^_^;
こんばんは!
PTAでも、政治でも「公」に仕える人は、ある意味この精神が必要になりますよね。
この続き、気になるのでまた拝見にきますねー!
家庭の中は色々とワタクシの要素があっても良いとおもうんです。いろいろな学びの場が家庭ですから。
ただし、PTA活動は…うん、うん。同感です。
ぶんママさん
こんばんは。
続き、病院の待合室で携帯で書いたんだけど、打ち間違い多いし、段落の区切れが見にくいんで、もうちょい直しまーす(^w^)
おはようございます。
確かに今の時代は、「それするならいくらくれるの?」という打算的というか、そんな価値観が支配してしまってますね。
自分を犠牲にするとか、人のために一汗かく、一肌脱ぐというようなことはバカらしいと思ってしまっておるのでしょうね。
中には、積極的にボランティアなどをされている方もいるんですけどね・・・
この辺も、流行の二極化なんでしょうか。
こんにちは。私も今日からサンパチ(/б0б)ウィッス!
気持ちも新たに、日々のちっちゃな感動を書きつづっていきたいものです。
奉仕の心を持つって、ほんと難しいですね。
報酬の有無で取り組み態度を変えることは、自分がされると猛烈に気分悪いんだけど、逆に何かを手伝う側に立つと無意識に「無償より有償」「サービスなしよりはアリ」のほうがやる気が増してるし・・・
昨日、健康雑誌の新聞広告(・・・確か「壮快」と「ゆほびか」だったかなあ?)に、「ゆるす生き方で、いじめも難病も克服できる」とか「魔法のことば"ありがとう"」みたいな見出しが並んでいました。
ちょっと注目しています。
こんばんは!
無私の心って難しいですよね。
それから私もたまに朝日新聞読みますよ!
やっぱり、双方(朝日・産経)、その他のメディアを比較してみると、立ち位置がわかったり、それぞれの主張がよくわかりますよね。
なにげに朝日もいいこといってる時もあるんですけどね〜
---新聞の論調は、
「右の産経、左の朝日」
って、学生時代にも聞いたことあります。
「ズームイン!」の「新聞のミカタ」で、解説員さんの思いを抑えたさそうな時は、読売とか毎日の記事の紹介をしているように思うのは、気のせいでしょうか??